10/4(土)に初日を迎えたカネミ油症事件のドキュメンタリー『食卓の肖像』。
金子サトシ監督と、カネミ油症被害者関西連絡会の共同代表を務める曽我部和弘さんをお迎えし、上映後にトークを開催しました。
1968年に西日本一帯で発生した戦後最大の食品公害事件である「カネミ油症事件」(→★Wikipedia)。
それから32年が経った2000年、金子監督は”昔の事件”だと思っていたこの事件の被害がまだ続いていることを知り、被害者への聞き取り調査を始めました。
「もっと知らなければ」
「被害を訴えたい」
そんな思いを抱いたことが映像取材のきっかけでしたが、10年にわたる取材や交流で様々な被害者たちと接するうち、有機農業を始めたり自然食を求めたり、食品によ る被害に遭った彼らだからこその生き様に触れ、「被害の実態」だけでなく、被害者の「その後の人生」を盛り込んだ形になったと話します。
そんな映画だからこそ嬉しい、と曽我部さん。
曽我部さんは福岡に住んでいた4歳のとき、母親の作った食事にカネミライスオイルが使われていたことで被害に遭いました。
2歳下の妹さんと同時に、全身に吹き出物ができる症状を発し、
すぐに保健所に行ったため被害者の認定はスムーズだったと言います。
しかし、仕事が忙しく保健所に行く時間を取れなかった父親は、同じ食事を摂ったにも関わらず、家族の中で1人だけ長いあいだ不認定でした。
カネミ油症の患者の判定は、血中のPCB濃度を測定する方法のみだそうです。この方法だと、被害直後でないと有効値が出ません。
カネミ油症事件については、ニキビや吹き出物といった皮膚症状が中心に報道され、その後に発生した内臓疾患など、どこまで因果関係があるのか解明が進んでいません。
被害者自身も「自分の症状のどこまでがカネミ油症なのかわからない」と曽我部さん。
同じ生活をして同じ食事をしていた家族の中で、1人だけ不認定というのはおかしい、と議員が声を上げ、実に46年ぶりとなる昨年、曽我部さんの父親もようやく認定 されました。
「血中濃度を測る」という基準ができたこと自体は前進と言えるが、
この方法ではすべての被害者を救うことは到底できない、と金子監督。
法律ではこれは「公害」ではなく、「食中毒」扱い。
でも被害の実態を考えると「食中毒」なんかで済ませられることではない。
「”食品公害法”を作るべき」と訴えられました。
「福岡に住んでいた頃は”カネミ油症”という名前が周知されていた。
関西に移り住んでだいぶ経つが、こっちでは何それ?と言われる。
医者に行っても事件を知らないのでとても困る。まずは知ってほしい」と曽我部さん。
その後はお客さまの質問に答えたり、意見交換も活発に行われました。
金子監督、曽我部さん、トークご参加のみなさま、本当にありがとうございました。
『食卓の肖像』は元町映画館で10/10(金)まで、毎日10:30から上映しています。
まだまだ続いている事件です。ぜひこの機会に知ってほしいと思います。