
「イスラーム映画祭10」5/3(土) 『さよなら、ジュリア』上映後、なぜ「さよなら、南スーダン」になったのか?というテーマで、防衛大学校教授の丸山大介さんによるトークを開催しました。
スーダンのスーフィズム(イスラム神秘主義)を研究している丸山さんは、2008年から2013年にフィールドワークのためスーダンの首都、ハルツームに滞在していたそうで、長年の内戦が終結、包括和平合意がなされた2005年と、南スーダンが独立した2011年を描いた本作を鑑賞し、「同じ空間、時間を共有していたのに南部出身の人と知り合う機会がほとんどなく、ここまでの差別があったことに気付きさえもしなかった。改めてスーダンについて学ばなければならないと思いました」と感想を語られました。
『汝は二十歳で死ぬ』(イスラーム映画祭6上映作)のアムジャド・アブー・アラー監督が本作の製作を勤めていますが、アラー氏も本作のムハンマド・コルドファーニー監督もスーダン北部の出身で、自らの罪悪感と和解への願いや、祖先から受け継がれた人種差別に対する贖罪の気持ちを本作に込めながら、「南部が独立するという大きな決断を前に、自分たち(北部の人)が何をしてきたか」を描きたかったといいます。
裕福な暮らしを送りながらも、常に夫の目を気にし、感情を押し殺している北部のムスリム女性、モナを演じたのは歌手、作曲家、作詞家のイーマン・ユースフ。一方、南部にルーツを持つハルツーム出身女性で、アラビア語を話すキリスト教徒のジュリアを演じたのは、有名モデルのシーラーン・リアーク。ジュリアは北と南にわけられない、マージナルなあわいの部分を生きている存在として本作が提示する問いかけを体現している存在でもあります。
ある事件をきっかけに、モナはジュリアをメイドとして雇い、ジュリアは息子ダニエルと住み込みで働きはじめますが、お互いに秘密を胸に暮らすミクロな生活の中に、北と南、虚と実、支配と被支配、搾取と被搾取、イスラーム教とキリスト教、男性と女性というスーダン社会の二元論的に語られる問題が重なり、それらが通奏低音として流れていると丸山さん。
中盤からは、本作で描かれる差別や格差がなぜ生まれたかについて、元々は人、自然、文化、歴史が極めて多様性に富んだ場所であることや、スーダン前史および現代史やスーダンを取り巻く問題を紐解きながら解説してくださいました。その締めくくりに丸山さんが指摘したのは、二元論的な思考様式は、どちら側につくかを迫り、あわいを許さないということ。「多様性が軽視され、対立図式を再生産して既成事実化してしまうのはスーダン固有の問題でもありながら、我々が陥りやすい構図になっている」と語られました。
また、2010年のスーダンの選挙運動中のポスターやバシール大統領の選挙演説(パフォーマンス)の様子を丸山さんが撮影した写真や動画を紹介していただきながら、宗教団体を利用したバシール大統領の狙いについても言及。包括和平合意から6年の時間がありながら、スーダンが統一されなかったことと、本作のモナが最後までジュリアに真実を告げられず、早々に償えたのにそのタイミングを逸してしまったことを重ねながら、「間接的に遠くの問題に思いを馳せるだけでなく、無意識の偏見、意識的な軋轢を野放しにしているのであれば、対立や矛盾を解決できないかと考えさせる映画だったのではないか」と締めくくりました。
スーダンの複雑な状況を知るだけでなく、安易に二元論的な思考に陥ることへの警鐘や、無意識の差別を自覚するきっかけを与えてくれるだけでなく、モナが嘘をつかざるを得なかった夫の関係やその背後にある女性の置かれた立場、最後は SPLM/A(スーダン人民解放運動/軍)に入ることを選んだダニエルの幼い頃からの差別体験についても深掘りできる秀作です。














