
『旅する身体』11/4(月)の上映後に、志子田勇監督、森山未來さん(俳優/ダンサー)、文さん(NPO法人DANCE BOX事務局長)の舞台挨拶を開催しました。
本作は、神戸市・新長田にある小劇場「DANCE BOX」で誕生した、聴覚、視覚、身体に特徴を持つ個性豊かなメンバーで構成されたダンスカンパニー「Mi-Mi-Bi(みみび)」の“身体を巡る旅”に密着したドキュメンタリー。上映3日目は、神戸市出身で古くからDANCE BOXと親交のある森山未來さんを新たにお迎えして、“言葉と身体の関係性”や“身体的コミュニケーション”についてお話しいただきました。
「撮影時、『なぜ色々な身体の特徴を持った人たちと一緒に活動しようと思ったのか』というのが単純な疑問としてありました」と話す志子田監督に、文さんは「普段舞台を観に行っても、見た目で分かるという前提の上ではありますが障がい者といわれる人ってあまりいないんです。お客さんにもあまりいない。それで、なんでだろうと。たとえばクラシックバレエのように形を整える表現のなかで、違う身体性を持った人たちが参加するのは難しいかもしれない。けれど私たちがやっているコンテンポラリーダンスの文脈のなかでは、その身体を活かす表現ができるんじゃないか、というのが根底にあります」と、Mi-Mi-Bi結成のきっかけを明かされました。
志子田監督が「ある感度を失った人はどんな世界を感じているんだろう。その人たちの世界の見え方、感じ方、価値観はどのようなものなのか…。一般的な感覚を持つ自分たちが知っている言葉の概念とか、これを言えば伝わるということが当たり前じゃない曖昧なものの伝え方を想像していました。特に、ダンスは言語ではないから、どうやって言葉に落とし込むんでしょうか」と問いかけると、森山さんは「『身体という言語』という言い方もあります。それは文字とか想像することとかとは違う言語感で、直接的かつ直感的なもの」、文さんは「映画の中で私がめちゃくちゃ怒ってるとこあるじゃないですか、伝わらなさすぎて(笑)。感覚って、体を触るだけで伝えられるようなものでもなくて難しかった」とそれぞれの視点から、観念的な言葉や感覚を身体で表現する“身体という言語”についてお話しされました。
トークは次第に“言葉から身体への変換”について発展。森山さんは「幸子さん(不随意運動症をもつMi-Mi-Biメンバー)が、右を意識し動こうとして体にどういう反応が出ているのか、僕らは想像するわけです。彼女は右を捉えたのか、だけどあえて違う動きをしているのか。言葉のイメージと身体で起こっていることはレイヤーになっていきます。それは言葉を自分たちの中に置きながら身体を見るという行為。だから僕はああいうのを見ると、多層的なものを感じるし、美しいと思います」と、言葉によって立ち上がる身体の構造を分析されました。
「ダンスは鑑賞するものなのか?」と提起された森山さん。「たとえば、祭りにおいて踊るという行為は、自分たちが同じコミュニティで生きていることを分かち合うための場であって、鑑賞するものではない。これは身体的な言語だと思います。身体と音を共有する時間そのものがコミュニケーションとして成立します」と、身体行為の原初的意義を辿りながらその言語性を指摘されました。また、「言葉はものをフレーミングするもので、たとえば映画だったら、脚本という設計図としてフレーミングされたものの中で映像や照明や音響を作り上げていく。だけど身体はフレームを用意していない。コンセプトから滲みが広がるように変化して形作られたものが身体の作品」とし、言葉と身体との相対的な連関に言及されました。
他者とのコミュニケーションにおいて、ダンスという身体行為がどのような意味を持ち、どのように共通の言葉たりうるのか。『旅する身体』がうったえかけるこの大きな問いに、誰もがひとつ答えを見出すことのできるトークイベントとなりました。

















